2017年12月09日

娯楽読物4-37 かれはそこにすわっている

 かれはそこにすわっている――あの巨匠、権威をかちえた芸術家、じつにもはんてきに純粋な形式で、放浪生活やにごった深味と絶縁し、奈落ならくに対して共感をこばみ、道ならぬものをだんがいしてきた、「みじめな男」の著者、おのれの知を克服こくふくして、あらゆる諷刺ふうし以上に生長しながら、大衆の信頼にともなう義務になれきっている、あの出世した男、その栄誉は公式のものであり、その名は貴族に高められ、そしてその文体にもとづいて修養すべく少年たちがすすめられている――その男がそこにすわっているのだ。

かれのまぶたはとざされていた。ただ時折、あざけるような、おどろいたような視線が、その下からわきのほうへすべり出ては、すばやくまたかくれてしまう。そして美容術でくっきりとなった、たるんだくちびるは、なかばまどろんでいるのうずいの生み出す、ふかしぎな夢の論理から、ひとつひとつの言葉をつくり出した。


「なぜなら美というものは、ファイドロスよ、よくおぼえておくがいい――美というものだけが、神々しいと同時に目に見えるものなのだ。そういうわけだから、美は感覚的な者のゆく道であるし、小さいファイドロスよ、芸術家が精神へ行く道なのだ。

そこで君はしかし、愛する友よ、精神的なものへゆくために感覚を通らねばならぬ人間が、一度でも英知と真の人間の品位をかくとくすることができると思うかね。それともきみはむしろ(わたしはその決定をきみの自由にまかせるが)これは危険でかつ愛すべき道であり、真に邪道であり、罪の道であって、かならず人を邪路にみちびくものだと思うかね。

なぜといって、これはぜひ言っておかねばならぬが、われわれ詩人たちが美の道を進んでゆけば、かならずエロスの神が道づれになって、得々と道案内をするにきまっているのだ。じっさいわれわれは、たとえわれわれ一流の英雄であるにしても、また規律正しい戦士であるにしても、やはりそれでも女のようなところがある。

というのは、われわれを高めるものは情熱であり、われわれの思慕しぼは常に恋愛ならざるを得ないからだ。――これがわれわれの喜びでもあり、はじでもある。われわれ詩人が聡明でも尊厳でもあり得ないということが、これできみにもわかっただろう。

われわれが必らず邪路にふみ入らねばならぬし、必らず常にほうらつで、感情の冒険家たらざるを得ないということが、わかっただろう。われわれの文体の優秀な調和は虚偽と愚行で、われわれの名声とかがやかしい地位は茶番で、われわれに対する大衆の信頼はこの上なくこっけいで、芸術による国民教育、青年教育は、むこう見ずな禁ずべき企図なのだ。

なぜなら、奈落へむかっての是正しがたい自然の傾向を生みつけられている者に、一体どうして教育者がつとまるべきだろう。われわれは奈落を否定したいし、品位をえたいとは思うのだが、しかしわれわれがどう身を転じようとも、奈落はわれわれをひきつけるのだ。

そこでわれわれはまず大体、分解させる認識というものと絶縁する。なぜと言って認識には、ファイドロスよ、なんの品位もおごそかさもないからだ。それは物を知り、理解し、許すもので、品性も形態もない。それは奈落に共感をもつ。それはまさに奈落なのだ。

この認識というものを、われわれはそれゆえ断乎として排撃する。そしてこんごわれわれの努力は、ひとえに美を――言いかえれば簡素と偉大と新らしいおごそかさとを、第二の無私とそして形態とをめざすのだ。ところが形態と無私は、ファイドロスよ、陶酔と欲情へつれてゆく。

けだかい人を、かれ自身の美しいおごそかさがはずべきものとして排撃する、あのおそるべき感情の罪悪へつれてゆくかもしれぬ。奈落へつれてゆくのだ。これさえも奈落へ。――こういうものがたしかに、われわれ詩人をそこへつれてゆくのだ。

われわれにはまいあがる力はなくて、ふみまよう力だけしかないからだ。さあ、わたしはもう行く、ファイドロスよ、きみはここにいるがいい。そしてわたしの姿が見えなくなってから、きみも行くがいい。」


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posted by 美健マスター at 06:00| ★娯楽読物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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