2017年12月02日

娯楽読物4-30 ざれうたを終ると、かれは金を集めはじめた

 ざれうたを終ると、かれは金を集めはじめた。ロシア人たちのところから取りかかったが、かれらの進んで喜捨きしゃするのが、みんなに見えた。それからかれは階段をのぼってきた。演技のときにずうずうしくふるまっただけ、それだけこんどこの高いところにくると、かれはうやうやしい様子を見せた。

背中をまるめたり、すり足をしたりしておじぎしながら、テエブルのあいだをぬき足で歩きまわったのである。そして腹黒い屈従の微笑が、かれの大きな歯をむき出させると同時に、やはり相変らずあの深いしわが二本、赤い眉のあいだにものすごく出ていた。

みんなはこの異様な、自分の生計の資をもらい集めている人物を、ものめずらしい、そしていくらか不愉快な気持で、じろじろながめた。みんな指先で貨幣をつまんで、かれのフェルト帽に投げこみながら、その帽子にさわらないように用心していた。

道化役者と端正な人たちとのあいだの、有形的な距離がとりのぞかれると、たとえ楽しみはいくら大きかろうとも、常に一種の当惑が生じてくる。道化役者はそれを感じた。そして卑屈なものごしでいいわけを立てようとしていた。

かれはアッシェンバッハのところへきた。するとかれといっしょに、あたりではだれひとり気にしていないらしい、あのにおいがやってきた。

「おい。」と孤独の男は、声を低めて、ほとんど機械的に言った。「ヴェニスは消毒されているな。なぜだ。」――ひょうきん者はかすれた声で答えた。「警察の命令でさあ。こう暑かったり、熱風シロッコが吹いたりする時にゃ、これが規則なんですよ、だんな。

熱風シロッコというやつぁ重苦しい。からだにゃよくありませんからね……」かれは、こんなことをたずねるなどとはふしぎだ、というような口調だった。そして熱風がいかに重苦しいかを、平手で表わして見せた。

――「それじゃヴェニスには、なんにもやっかいなことはないんだね。」とアッシェンバッハは、ごく小声で、つぶやくようにたずねた。――おどけ者の筋肉質の顔つきは、こっけいな当惑の渋面じゅうめんになった。「やっかいですって。しかしどういうやっかいのことでしょう。

熱風シロッコがやっかいなんですか。ひょっとしたら当地の警察がやっかいなんですか、ご冗談をおっしゃる。やっかいだなんて。そんなことがあるもんですか。一種の予防策ですよ、まったく。重苦しい天気の影響をふせぐための、警察のさしずでさあね……」かれは手まねをしてみせた。

――「もういい。」とアッシェンバッハはまた短かく小声で言うと、不相応に多額の貨幣を帽子の中へ落した。それからその男に、むこうへ行けと目くばせをした。男はにやにやして、なんども腰をかがめながら、目くばせに従った。

しかしかれがまだ階段に達しないうちに、ホテルの使用人がふたり、かれにおそいかかって、かれの顔に顔をぐっと近づけたまま、ささやき声でかれを訊問した。かれは肩をそびやかした。いろいろ断言した。ちかってひみつは明かさなかったといった。

見ていてそれがわかったのである。放免されると、かれは庭へもどって行った。そしてアアク灯の下で、なかまと手短かに相談をきめてから、感謝と告別をかねた歌をうたうために、もう一度前へ出た。

 それは、孤独の男がまだ一度も聞いたおぼえのない歌だった。わけのわからない方言の、あつかましい流行歌で、笑い声の折り返しがついていた。そこへくると一隊が、きまってありったけの声で加わるのであった。そのときは歌詞も楽器の伴奏も中止されて、あとには、リズムとしてどうやらととのえられた、しかしごく自然のままに取り扱われた笑い声以外に、なんにも残らない。

それを特に独唱者は、すばらしい手腕で、きわめて真にせまった生き生きした笑い声にすることを心得ていた。自分と紳士淑女たちとのあいだに、ふたたび芸術的間隔ができたので、かれは持ち前の鉄面皮をすっかり取りもどしていたのである。

そしてずうずうしくテラスまで投げあげられるかれの技芸的な笑い声は、あざけりの哄笑こうしょうであった。すでに、歌の一節のきわだった部分が終るころになると、かれはたえがたいくすぐったさと戦っているふうだった。かれはしゃくりあげた。

かれの声はよろよろした。かれは手を口におしつけた。肩をひねった。そして定めの瞬間になると、とどめがたい笑いがかれの胸の中から、ほとばしり、ほえたけり、爆発した。それがいかにも如実なので、笑いは伝染的にはたらいて、聴衆にまでつたわって行き、テラスの上でも、対象のない、それ自身だけをかてにしている笑いの波が、あたりにはびこった。

これがしかし、まさに歌手のはしゃぎかたを倍加したらしかった。かれはひざを折りまげた。ふとももをたたいた。横腹をおさえた。笑って笑って笑いぬこうとした。かれはもう笑うのではなくて、さけんでいるのだった。

かれは指で上のほうをさした――まるでその上のほうの笑っている一座よりもこっけいなものはない、とでもいうように。そして結局、庭にいる人もベランダにいる人も、戸口にいる給仕人やエレベエタア・ボオイや小使までも、ことごとく笑ってしまった。

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posted by 美健マスター at 06:00| ★娯楽読物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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