2017年11月28日

娯楽読物4-26 かれは近ごろでは、あの美しい者の近くにいてその姿をながめることを

 かれは近ごろでは、あの美しい者の近くにいてその姿をながめることを、日々のきまりと好運とに負うているというだけでは、満足しなかった。かれは少年のあとを追い、少年をつけまわした。たとえば日曜には、あのポオランド人たちは、決してなぎさに現われなかった。

かれはかれらがサン・マルコ寺院のミサに列席するものと推測して、急いでそこへ出かけた。そして広場の灼熱から、聖域の金の薄明へと歩み入りながら、かれはあのしたわしい者が、礼拝の途中で祈祷机の上に身をかがめているのを見いだした。

やがてアッシェンバッハは、うしろのほうの、ひびの入ったモザイクのゆかの上に、つぶやいたりひざまずいたり十字を切ったりしている群衆のまんなかに立っていた。するとこの東洋ふうの寺院の簡潔な華麗さが、ずっしりとかれの五官の上にのしかかってきた。

前のほうでは、おもたく着飾った僧侶が、ゆっくり歩いたり、立ちはたらいたり、歌を歌ったりしていた。香煙がもくもくと立ちのぼって、祭壇のろうそくの弱々しい小さなほのおを、もうろうと押しつつんだ。そしてむっと甘い供物くもつのにおいのなかに、もう一つ別のにおいがかすかにまじっているらしかった

――この病んだ都会のにおいが。しかしうすい煙と閃光せんこうをぬって、アッシェンバッハには、あの美しい少年がむこうの前のほうで、首をふりむけ、かれをさがし、かれを認めたのが見えた。

 やがて群衆が開かれた玄関から、はとのむれている明るい広場へ流れ出すと、この目のくらんだ男は、車よせのところにかくれる。かれは身をひそめる。待ちぶせるのである。かれはあのポオランド人たちが寺院を立ち去るのを見る。

きょうだいたちが儀式ばった調子で母親に別れを告げ、そして母親が宿へ帰るべく小さい広場のほうへ足を向けるのを見る。かれは美しい少年と修道院ふうのきょうだいたちと女家庭教師とが、右へ折れて、時計台の下の門をくぐって、小間物店のほうへ道をとるのをたしかめ、そしてかれらをいくらかやりすごしてから、そのあとについてゆく。

かれらがヴェニス中を散歩するあとに、こっそりとついてゆくのである。かれらが足をとめるたびに、かれは立ちどまらねばならなかった。あともどりしてくるのをやりすごすためには、小料理屋や中庭へ逃げこまねばならなかった。

かれらを見失って、のぼせて、へとへとになりながら、橋を渡ったり、汚ないふくろ小路へはいりこんだりしてさがし求めては、かれらがいきなり、さけようのないせまい有蓋街路アアケエドでむこうからきかかるのを見ると、死ぬような苦悩の数分間をたえしのんだ。

それでも、かれがなやんだ、とはいうことができない。頭と心はよっていたし、歩みは、人間の理性と品位を足下にふみにじるのをこころよしとする、あの魔神のさしずに従っていたのである。

 タッジオとその一行は、さてそれからどこかしらで、ゴンドラをやとう。するとかれらがのりこむあいだ、建物の突き出たところなり、井戸のかげなりにかくれていたアッシェンバッハは、かれらが岸をはなれたすぐあとで、かれらと同じことをする。

かれが船頭に、酒手をどっさりやるという約束のもとに、今ちょうどあのかどを曲ったゴンドラのあとを、目だたぬように少しはなれてついてゆけ、と命ずるとき、かれはせかせかと、おさえたような調子で話す。そしてその男が、ぜげんのような悪がしこいまめまめしさを示しながら、かれのために用をつとめる――忠実に用をつとめることを、かれと同じ口調でうけ合うとき、かれはぞうっとするのである。




posted by 美健マスター at 06:00| ★娯楽読物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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