2017年11月21日

娯楽読物4-20 かれは、ふだん仕事欲が高鳴る時なぞにそうするごとく

 かれは、ふだん仕事欲が高鳴る時なぞにそうするごとく、朝早くから起きた。そして太陽がまだやわらかく、海が白く輝きながら朝の夢をみているころ、たいていの人よりも先になぎさへ行っていた。往来どめのさくの番人に、かれはやさしくあいさつする。

かれのために居場所をととのえ、茶いろの日よけを張り渡し、小屋の家具をそとの壇の上に移してくれる、はだしの白ひげの老人にも、親しげにあいさつする。それから腰をおろすのである。それにつづく三四時間はかれのものだった。太陽が高くのぼって、おそろしいいきおいを占め、海がしだいに紺碧こんぺきをふかめ、そしてかれがタッジオを見ることを許される時なのである。

 かれはタッジオが左手から、波打ぎわに添ってこっちへくるのを見る。うしろのほうから、小屋のあいだから歩み出るのを見る。あるいはまた突然、しかも多少のうれしいおどろきを覚えながら、タッジオのくるのを見のがしていたこと、そしてもうそこにきているのに気がつくこともある。

タッジオは、このごろなぎさでいつも必らず着ている、青と白の水着を着たまま、例の通りのいとなみを、日光と砂のなかでふたたびはじめている――あのかわいらしく無意味な、のんきにめまぐるしい生活を。それは遊びであり、また休息であり、逍遙しょうよう、徒渉としょう、掘ること、捕えること、ねそべること、泳ぐことであった――壇の上の婦人たちに見張られ、呼びかけられながらである。

かの女たちはうら声で、「タッジウ、タッジウ。」とかれの名をひびかせる。するとかれは懸命に身ぶりをしながら、かの女たちのほうへかけてくる――自分の体験したことを話してきかせるために、自分の見つけたもの、つかまえたもの――貝がらだの、たつのおとしごだの、くらげだの、それから横に走るかにだのを見せてやるために。

かれの話すことは、たとえどんなに平凡なことでも、一言もアッシェンバッハにはわからなかった。それはかれの耳には、ぼんやりとした諧音であった。そこで耳なれぬということが、少年の語る言葉を音楽にまで高め、一つの奔放な太陽がおしげもなく、少年のうえに輝きをそそぎかけ、そして海のけだかい、奥行のふかいながめが、たえずかれのすがたのはくとなり、背景となっていた。

 ほどなくこの観察者は、かくも高められ、かくもあからさまに表わされているこの肉体の、あらゆる線と姿態に通じ、すでに見おぼえたあらゆる美しさを、さらにまた喜ばしく迎えて、嘆賞とせんさいな官能の楽しみとのきまるところを知らなかった。

少年は、婦人たちが小屋のそばでかしずいている一人の訪客にあいさつするようにと、呼びよせられる。かれはかけてくる。うしおのせいであろう、ぬれたままでかけてくる。かれは捲毛の頭をゆする。そして片脚で身を支えて、片方の足をつまだてながら、手をさしのべると同時に、かれはからだをかわいらしくまわしたりよじったりする

――優雅な弾力を見せて、愛嬌からくるはじらいをこめて、貴族的な義務からくる媚態びたいをおびて。かれはタオルを胸にまきつけ、せんさいな彫刻のような腕を砂について、あごをてのひらにうずめたまま、ながながと横になっている。

「ヤアシュウ」と呼ばれる男が、かれのそばにしゃがんで、かれのきげんをとっているのだが、このすばらしい少年が、格の低い、奉仕するこの男を見あげる時の、目とくちびるの微笑ほど、こわく的なものはあり得なかった。

少年は波打ちぎわに立っている――ひとりで、家族の者たちから離れて、アッシェンバッハのすぐ近くに、胸を張って、両手をうなじのところで組み合わせて、足をつまだてたなりゆっくりとからだをゆすりながら。そしてうっとりと紺碧こんぺきのいろを見つめている。

同時に、打ちよせる小さな波がかれの足の指をひたしているのである。蜜いろの髪は、捲きながらこめかみとうなじにまつわりつき、日光はくびに近いせきついのうぶ毛を光らせ、ろっこつのほそいりんかくと胸の均整とは、胴体がきっちりと引きしまっているためにきわだって見え、わきの下はまだ塑像そぞうと同じようにすべすべしているし、ひかがみはきらきらと光って、そのうす青い脈管は、かれのからだを、なんだか普通よりも清澄な物質でできているように見せた。

なんという規律、なんという思想の精密さが、このまっすぐに伸びた、若々しく完全な肉体のなかに、表現されていることか。とはいえ、暗黙のうちにはたらきながら、この神々しい彫刻を生み出すことのできた、あの厳格で純粋な意志――それは芸術家たるアッシェンバッハにとって、既知の、なじみふかいものではないのか。

自分が頭の中で見た、そして精神的な美の立像とかがみとして人々に表示した、あのなよやかな形態を、かれが冷徹な情熱にあふれながら、言語という大理石塊から解き放つとき、その意志は常にかれのうちにもはたらいてはいないのか。





posted by 美健マスター at 06:00| ★娯楽読物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
生活に役立つ情報コレクション
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。