2017年11月14日

娯楽読物4-13 それでは滞留することにしよう

 それでは滞留することにしよう、とアッシェンバッハは思った。――ここよりいいところがあるだろうか。そして両手をひざの上に組み合わせたなり、かれは目を遠い沖合のほうへさまよわせた。その視線をぼうばくとした空間の単調なもやの中で、すべり去らせ、もうろうとさせ、消えさせた。

かれは海というものを、深い理由から愛している。――つらい仕事をしている芸術家の、安息を求めるきもちからである。そういう芸術家は、現象のもつおごりたかぶった多様性をさけて、単純な巨大なものの胸に身をひそめようとするのだ。

未組織のものへ、無際限なものへ、永遠のものへ、虚無へむかっての嗜好しこう――かれの使命とは正反対の、しかもそれ故にこそ誘惑的な、禁制の嗜好から愛するのである。完全なものにもたれて休息したいというのは、優秀なものをえようと努める者のあこがれだ。

そして虚無とは完全なものの一形態ではなかろうか。ところで今アッシェンバッハが、かくも深く空虚のなかへ夢想をはせていると、突然、波打ちぎわの地平線をひとつの人かげが横切った。そしてかれがまなざしを、無辺際むへんざいの境からたぐりよせて集中したとき、それは左手からきかかって、かれの前の砂地を通りすぎる、あの美しい少年なのであった。

少年ははだしで、水をかちわたる用意をして、ほっそりした脚をひざの上まであらわしたまま、ゆっくりと、しかしはきものなしで歩くのになれきってでもいるように、軽くかつ昂然こうぜんと歩いていた。そしてはすかいにならんだ小屋のほうをふりむいた。

ところが、そこにうれしげにだんらんしながらがやがやさわいでいる、例のロシア人の家族が目に入ったと思うと、たちまち腹立たしげなあなどりの雷雨が、かれの顔いっぱいにひろがった。ひたいはくらくなり、口はつりあがり、くちびるから片側へかけて憤激のゆがみが走ると、それが頬を引きさき、そして眉がいかにも重苦しくしかめられた結果、それにおされて目はうもれたようになりながらも、その下から悪意をふくんでいんうつに、憎悪の言葉を語っていた。

かれは視線をおとした。もう一度おびやかすようにふり返った。と思うと、はげしくうっちゃるように、身をそむけるように肩を動かした。そして敵をあとにした。

 一種の思いやりまたは驚愕きょうがく、何か尊敬とはじらいのようなものにかられて、アッシェンバッハは、まるで何ごとも見なかったかのように身をそむけた。というのは激情をふと目にしたこの荘重な観察者は、自分の知覚したことを、自分自身に対してさえ利用するのが、いやでならなかったのである。

かれはしかし明朗な気持にされたと同時に、心をゆり動かされていた。言いかえれば、幸福にされていた。人生の最も温良な一片に対して向けられた、この幼稚な狂熱――それは神々こうごうしい無意味なものを、人間的な関係の中へおいた。

ただ目を楽しませるだけにしか役立たなかった、あの自然の貴重な彫像を、いっそうふかい関心にあたいするものとして見せた。そしてこの未成年者の、もともと美しいゆえに意義ふかい姿に、はくを加えたのである。そのはくがあるので、かれを年齢以上に真剣に扱うことが許されるのだ。

 まだ身をそむけたままで、アッシェンバッハは少年の声に――すきとおるような、いくぶん弱々しい声に、耳をすましていた。その声で少年はすでに遠くのほうから、砂の城のまわりではたらいている遊び仲間に、あいさつかたがた、自分のきたことを知らせようとしたのである。

みんなはかれに答えた。つまり、かれの名かその名の愛称かを、なん度もかれにむかってさけんだのだ。そしてアッシェンバッハは、いくらかの好奇心でそれにきき入ったが、「アッジオ」とか、またはいっそうたびたび「アッジウ」とかいう、終りのUの音を長く引いてさけばれる、音のきれいな二綴り以上には、くわしく聞きとることができなかった。

かれはこのひびきをよろこんだ。このひびきは耳にこころよい点で、あの対象にふさわしい、と思って、胸の中でそれをくり返してみた。それから満足したきもちで、手紙と原稿にむかった。





posted by 美健マスター at 06:00| ★娯楽読物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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