2017年11月06日

娯楽読物4-5 かれは時代とともに若くて粗野だった

 かれは時代とともに若くて粗野だった。そして時代からよい助言を得なかったかれは、公生活でつまずいたり、失策を演じたり、弱点をさらけ出したり、常識とつつしみに対して、言行ともに違反を犯した。しかしかれは威厳をかくとくした。

かれの主張によると、この威厳をえようとする当然の衝動と刺激は、あらゆる偉大な才能に、うまれつき備わっているのである。いや、かれの進展全体は、威厳へ向っての、意識的な、反抗的な、懐疑と皮肉のあらゆる障害を越えて進む上昇であった、と言ってさしつかえない。

 形成というもののはつらつとした、精神的に拘束しない具体性は、市井しせいの大衆の悦楽となっている。しかし無制限な情熱をもった青年たちは、ただ問題的なものだけに心をとらえられる。そうしてアッシェンバッハは、どんな若者とも同じ程度に、問題的であり、無制限であった。

かれは精神の奴隷となり、認識で乱作をおこない、まくべき種子をひいてつぶし、秘訣けつを放棄し、才能に容疑をかけ、芸術を裏切った。――じっさい、かれの創作が、信頼しつつ鑑賞する人たちを、楽しませ、高め、生気づけていた一方、若々しい芸術家なるかれは、二十歳の人たちを、芸術の、芸術家生活自体の、うたがわしい本質に関する毒舌で、疲れさせなやませたのであった。

 しかし高貴な有為ゆういな精神というものは、認識のもつ鋭いにがい魅力に対して、最も早く最も徹底的に、鈍感になるものらしい。そして青年のもつ、憂愁をふくんできわめて良心的になっている徹底性も、巨匠となった壮年のかの深刻な決意にくらべれば、浅薄さを意味する、ということはたしかである。

それはつまり、知識というものが、意志、行為、感情を、そして情熱をすら、すこしでもなえさせ、沮喪そそうさせ、成りさがらせる傾向のあるかぎり、それを否定し、拒絶し、昂然と乗り越えて行こう、という決意なのである。

「みじめな男」についてのあの有名な物語は、その柔弱な愚劣な半悪党の姿に具体化されている。当代のいかがわしい心理主義への嫌悪けんおの激発として解釈するほかに、どんな解釈の仕様があろう。――それは無気力から、背徳から、道徳的な気まぐれから、自分の妻をあるなま若い男の腕のなかへ追いやりつつ、そして深刻さから、下劣なことをおこなってもかまわぬと信じつつ、一つの運命をだましとる男なのである。

ここで非道なものを弾劾だんがいしている言葉の重圧は、あらゆる道徳的懐疑からの、奈落ならくに対する共感からの転向を宣明し、いっさいを理解するのはいっさいをゆるすことだという、同情的な命題のだらしなさに対する絶縁を宣明した。

そしてここに準備されたもの、いや、すでに実現されたものは、かの「更生せる天真の奇跡」であった。少したってから、この著者の対話編のなかで、あきらかに、そして神秘的な強調をいくらかこめて、言及された奇跡なのである。

ふしぎな連関ではないか。この時期に、かれの美的感情のほとんど過度に強まったのが認められたのは、――名人芸と古典性とのじつに明白な、いや、計画的な特徴を、それ以後かれの製作にさずけた、あの構成上のけだかい純潔と簡素と均整とが認められたのは、この「更生」の、この新しい品位ときびしさとの、精神的な結果だったのだろうか。

しかし知識のかなた、分解し阻止する認識のかなたにある、道徳的果断というもの――それはふたたび、世界とたましいとの単純化を、道徳的簡易化を、従って同時に、悪へ、禁断のものへ、道徳的に不可能なものへの強化を、意味してはいないだろうか。そして形態というものは、二種の相貌そうぼうをもってはいないだろうか。

それは道徳的であると同時に非道徳ではなかろうか。――たんれんの成果及び表現としては道徳的だけれど、元来一つの道徳的無関心を包含しているかぎり、いや、道徳的なものを、その堂々たる専制的な支配のもとに屈せしめようと、特に努力しているかぎり、非道徳的であり、反道徳的でさえもあるのではなかろうか。

 それはともかくとして、発展というものは一つの運命である。そして広汎こうはんな公衆の関心と大衆的信頼をともなう発展と、名声の栄光もあいきょうもなしに実現される発展とが、ことなった経路をとらないわけがあろうか。

一つの偉大な才能が、放縦ほうじゅうなさなぎの状態からぬけ出て、精神の品位をゆたかな表現で知覚するのになれ、孤独の――助言者もない、つらいひとりきりのなやみや闘争にみちた、そして人々の間で権力と名誉をかちえた孤独というものの、厳格な風習をおびるとき、それを退屈と感じて冷笑しがちなのは、永遠のジプシイかたぎだけである。

それに才能の自己形成の中には、なんと多くの遊戯と反抗と享楽とがあることだろう。グスタアフ・アッシェンバッハの提示するものには、時とともに、役所風で教育的なおもむきが現われてきた。かれの文体は、後年には端的な奔放ほんぽう性を、巧緻こうちな斬新ざんしんな陰影を欠いた。

それは模範的で固定したものへ、みがきのかかった伝統的なものへ、保守的なものへ、形式的なものへ、型にはまったものへすら、変って行った。そしてルイ十四世について伝説が主張しているとおり、この初老の男も、その言葉づかいからいっさいの野卑やひな語を追放してしまった。

文部当局がかれの著書の精選された幾ペエジを、規定の学校用読本の中へ取り入れたのは、そのころであった。それはかれの心にかなったことだった。そうして即位したばかりの、あるドイツの君主が、あの「フリイドリヒ」の作家に、その五十回目の誕生に当って、貴族の身分をさずけたとき、かれはそれを辞退しなかったのである。

 動揺の数年ののち、二三度そこここに滞留してみたのち、かれは早くもミュンヘンを永住の地としてえらんで、精神というものに特別な例外の場合にさずけられるような、市民的栄位について、そこでくらしていた。

かれがある学者の一族から出た少女と、まだ青年のころにむすんだ結婚生活は、短かい幸福期ののちに、死によって断たれてしまった。娘がひとり――すでに人妻だが――かれに残った。むすこというものを、かれは一度ももったことがなかった。

 グスタアフ・フォン・アッシェンバッハは、中背というよりもすこし低目で、浅黒くて、無髯むぜんだった。頭は、すんなりしているくらいのからだつきのわりに、いくらか大きすぎるかに見えた。

てっぺんがうすく、こめかみのところが非常に濃こく、そして白くなっていて、うしろへなでつけてある髪の毛が、深いしわのたくさんある、いわばきずあとでもついているような、秀ひいでたひたいをふちどっている。

金のふちなしめがねの金かな具が、みじかい、上品な曲線をもつ鼻のつけねにくいこんでいる。口は大きく、時にゆるんでいるが、時に突然ほそくなって――ひきしまる。頬ほおのあたりはこけて、しわがより、よく発達したあごには、やわらかい裂目さけめができている。

たいていは無抵抗に横にかしいでいるこの頭の上を、さまざまな意味ぶかい運命が、通り越して行ったらしく思われる。それでいて、普通なら苦しい、動揺した生活がしとげる、あの人相上の仕上げを、この場合引き受けたものは、芸術だったのである。

このひたいの奥で、ボルテエルとあの国王とのあいだにかわされた、戦争についての会話の、電光に似たやりとりがうまれたのだ。この目が、めがねごしのものうげな深いまなざしで、七年戦争の野戦病院の、血にまみれた地獄をのぞいたのだ。

個人的に考えても、むろん芸術とは一つの高められた生活である。芸術は一段とふかい幸福を与え、一段と早くおとろえさせる。それに奉仕する者の顔に、想像的な精神的な冒険のこんせきをきざみつける。

そして芸術は、外的生活が僧院のようにしずかであってさえも、長いあいだには、ほうらつな情熱と享楽とにみちた生活によっても、めったに生み出され得ぬような、神経のぜいたくと過度の洗練と倦怠けんたいと、そして好奇心とを生み出すのである。




posted by 美健マスター at 07:24| ★娯楽読物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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